吃音持ちの私が「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読んでみた

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出典:Amazon

どうもTTです。

 

さて今回は吃音を題材にした漫画を読んだ感想を自分の体験と織り交ぜながらお話していこうと思います。

 

 

 

 

本の紹介

志乃ちゃんは自分の名前が言えないは、押見修造さんが描いた漫画です。

 

2011年末から翌年の10月までウェブマガジン「ぽこぽこ」で連載された全11話からなるストーリー。2013年に単行本化されました。

 

大まかなあらすじとしては、主人公の女の子大島志乃が高校に入学し、ぎこちないコミュニケーションであっても自分の想いを伝えようと奮闘する様子が描かれています。

 

 

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読むまでの私の葛藤

私が今過去を振り返ってみると、私が吃音になったのは丁度この漫画が発売された頃だったと思います。

 

その当時はこの漫画の存在自体を知らなかったですし、ましてや吃音が一種の言語障害だとは思いもしませんでした。

 

その当時、私はまだ中学生。

 

そこから高校、大学へ進学していくにつれ、周りとは違って思い通りに喋れない事への憎しみのようなものが徐々に私の心を支配していきました。

 

みんなと同じ様に喋れたらどんなに楽しいことだろうか、と。

 

その一方で、周りと違うという事を受け入れられない自分も確かにいました。

 

そんな多感な時期にこの漫画の存在を知った私は、まずこう思いました。

 

「こうした吃音を扱った漫画を読むことは、まるで自分の吃音を肯定している様じゃないか」

 

加えて、自分の吃音が原因の苦い思い出を描いたであろう本作品を読むことがストレスになってしまい、更に吃音の症状を悪化させてしまうのでは、とも考えていました。

 

なので、本書の存在を知りながらも、決してその作品を手に取ることはありませんでした。

 

 

 

留学という人生の転機

そんな私は大学2年生の時にある決断を下しました。

 

それは留学へ行くということ。

 

もともと英語が好きだったこともあり、 私が通っている大学の協定校の1つであるオーストラリアの大学へ留学することになりました。

 

英語力の向上は勿論、新たな環境で吃音というコンプレックスを克服し、内気な自分を変えたいという目標が密かに私の中にありました。

 

というのも、母語以外の言葉をしゃべるときは吃音が出にくい、という事例も存在するからです(人による)。

 

しかし、現実はそう甘くはありませんでした。

 

自分を変えたいという心意気だけが先走りして、体の方は置いてきぼりに。

 

積極的に留学生と交流しようと努めていた私でしたが中々打ち解けることができず、留学を通して吃音に対する恐怖心が一段と強くなった気がします。

 

結果人とのコミュニケーションが怖くなり、前よりも増して引っ込み思案に。

 

そうこうするうちに、吃音が誰にも理解されない苦しみを抱えながらの生活が限界に達した私は、ついに日本にいる友達に電話をし吃音のことを打ち明けます。

 

初めて自分以外の人に吃音のことを話した瞬間でした。

 

何だか心に抱えていた重荷が「ふわっ」と軽くなった様な感じ。

 

それ以来発信することで、「自分の中で何かが変わる」、と思うようになり吃音のことをもっと知ろうとネットで調べたり本を読み始めたりしました。

 

こうした留学中の自分の心の変化から覚悟を決めた私は、ついにこの「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という漫画を手に取りました。

 

(実際には紙媒体ではなくAmazon Kindleで読みましたが。笑)

 

 

 

 

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読んで感じた自分自身の変化

!!以下ネタバレ含みます!!

 

こちらの漫画には本当に賛否両論があると思います。

 

当事者からすると、「こんなストーリーただの綺麗ごとじゃん!!」という意見がある一方、「すごく共感。感動した。」という方もいらっしゃいます。

 

私自身計2回読ませていただいたのですが、1回目と2回目では感じ方がだいぶ違いました。

 

1回目はオーストラリアに留学中に、そして2回目は帰国後ブログを始めてから読みました。

 

1回目を読んで

留学中に読んだときは、共感はしたもののストーリー自体は若干美化されているのではないかと感じました。

 

それもストーリーでは入学後に吃音の事を理解しようとしてくれる(理解というよりは主人公が話す時の違和感を感じ取り、助けてくれる)友達ががこんなに早々と作れる訳がない、と思ったからです。

 

そしてその友達と主人公が一緒にバンドを組んで文化祭に出ようと決意。

 

最後のシーンでは、主人公の大島さんが大勢の人が集まる体育館の中で、上手く喋れない事への屈辱感や劣等感を吐き出すように、「私は自分の名前が言えない.....!!」などと大声で叫びます。

 

私からすると感動するというよりは、「こんなに勇気のある行動できるか!」と非常に現実的にストーリーを捉えていました.....笑

 

2回目を読んで

そしてブログを始めてから読む2回目の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」。

 

まず泣きました(笑)。

 

何故かと言うと、主人公の大島志乃さんを見て、自分から吃音の事を理解してもらおうとする姿勢が以前にも増して感じられたからです。

 

こうした感じ方ができたのは、単純に私自身の変化によるものがかなり大きい気がします。

 

少しずつですがブログを通して吃音の事を発信するようになって、発信することの重要性を感じ、主人公により共感出来る様になったと感じています。

 

吃音当事者の方にとっては、ストーリーというよりはむしろ主人公が経験するぎこちないコミュニケーションに共感する、ということが多いのではないでしょうか。

 

例えば、

 

自分の自己紹介の順番が回ってくる前のあの差し迫った緊張感。

 

喉が「きゅうぅっ」絞まる感覚。

 

他者との距離感によってどもりやすさが異なる感じ。

 

歌うときは何故かどもらない不思議。

 

 

こういった部分が本当に上手く描写されていたと思います。

 

必死に言葉を伝えようとする主人公の表情に私は胸が締め付けられる思いでした。

 

先ほどお話した物語の最後のシーン。

 

主人公の大島さんが大勢の人が集まる体育館の中で、上手く喋れない事への屈辱感や劣等感を吐き出すように、「私は自分の名前が言えない.....!!」などと大声で叫ぶというもの。 

 

一見美化されたストーリーのように思えるかもしれませんが、ここでは吃音当事者が伝えたくても中々伝えられない想いが主人公の大島志乃さんによって代弁されていると強く感じました。

 

本当はありのままの自分を見せたいけれども恥ずかしくて言えない、という葛藤を吹き飛ばすように、彼女は内に秘められていた想いを爆発させます。

 

見ていて少し切なくもありますが、どもりながらでもありのままの自分を伝える姿に私の心は爽快感で満たされていきました。

 

 

最後に

今後の人生において、私は吃音というコンプレックスを強みに変えていきたいと強く思っているので、主人公が歌を通して自分を変えようとしたことには本当に勇気をもらいました。

 

もしこの漫画が気になっていても中々読むことが億劫な方へ。

 

無理して読み始める必要はないと思います。

 

いつか私のように読み始めるきっかけが訪れるかもしれません。

 

もしくはこの本を読んだ事がきっかけで自分自身を受け入れようと思うことが出来る様になるかもしれません。

 

吃音当事者の方もそうでない方も、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は吃音についての理解が深まる良い本だと思います。

 

私のブログがきっかけで吃音、または本書に興味を持っていただけたのなら嬉しい限りです。

 

 

御一読ありがとうございましたTT

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