映画『パラサイト』から「他者」との「共存」について考える

当記事はネタバレそのものです。

 

ポン・ジュノ監督の最新作、映画『パラサイト』を観賞してから暫く経っているのにも関わらず、鉛のような曖昧模糊たる感情が、私の心の中にずっしりとした重みを蓄えながら、次第にその重みを増していっているのです。

 

年齢、国籍、社会的な境遇、その全てが私とは異なる"半地下"の住人、キム・ギテク(ソン・ガンホ)。粗雑でありながらも温厚な彼の姿に親しみを感じつつも、やはり、私にとって彼は「他者」であったのです。そう感じさせられたのは、あの刹那の瞬間に彼が見せた不可解な情動。その後、彼が犯した"事件"は私の理解をはるかに超えるものであり、この映画において最も理解に苦しむ場面でもありました。

 

一見すると理解し難い「他者」の合理性。それがある印象的なシーンのもとで露になる時、私は『パラサイト』という映画の世界観に惹き付けられ、そこに強いメッセージ性を感じてしまうのです。

 

物語の終盤でした。社長宅の敷地内にある広々とした中庭で開催された、凄惨で優雅な殺戮のパレード。半地下の住人、キム・ギテク(ソン・ガンホ)は、自身が仕えるIT企業のパク社長(イ・ソンギュン)を何の躊躇もなく殺害してしまうのです。

 

刃物による致命傷を受け、力無く地面に伏すギテクの娘、ギジョン。社長を敬愛、いや、狂愛する"地下の住人"と文字通りの死闘を繰り広げていた妻のチュンスク。愛する家族が直面する"死"に対し、キム・ギテクは何を思って犯行に望んだのか。

 

鮮血にまみれ、今にも死に行く娘に何の感心も示さず、自身の家族の安全を最優先し、挙げ句の果てには半地下特有の"臭い"を煙たがる素振りまで見せたパク社長。そんな彼に対して、ギテクは怒りの矛先を向けたのだろうか。

 

しかし、刺殺された娘の仇を討つ"復讐"という観点から見ると、パク社長はその対象には決してなり得ない。なぜなら、娘をナイフで刺した張本人は、あの"地下の住人"だったのだから。

 

それに加えて、物語の中においても、キム・ギテクがパク社長を殺害するほどに憎悪を募らせるような出来事はなかったはずです。彼には何か、パク社長に対する確固たる怨みがあったのかもしれませんが、それはストーリーには描かれていない部分で、神のみぞ知る領域になるかと思います。

 

では、なぜ、キム・ギテクという男は"地下の住人"ではなく、パク社長を討ったのだろうか。

 

その理由を考える時のキーワードとなるのが「もどかしさ」だと感じます。

 

どうしようもないのです。賤しき者であるキム・ギテクにとっては、たとえ太陽が西から昇ることがあっても、貴なる者の住む世界に順応することはない。つまり、両者の間には越えられない壁、いわゆる"ガラスの天井(グラス・シーリング)"が存在すると言えます。

 

少し話は逸れますが、物語の中盤に「元家政婦とその夫("地下の住人")」vs 「キム一家」の争いがありました。その争いが、中庭とリビングを隔てる富の象徴のような大きな1枚のガラスの外から映し出された時、努力や才能の類いでは決して踏み越えることの出来ない一線が、透明なガラスの中にハッキリと描かれていたように感じます。

 

何をしても、徒労に帰す。これほどまでに、人が無力感を感じることはないのではないかと思います。必死に金槌を叩いても、"ガラスの天井"にかすり傷を付けることが出来れば、万々歳。この世に生を受けた瞬間から、社会に存在する目には見えない不可抗力をもって"上流"に行くことが憚られる。

 

このように、人には努力や才能では超えられない"壁"があり、そこに直面すると、ある人は怒り、また、ある人は悲しむことでしょう。しかし、最終的に心の奥底に残るものは、何も出来ないという無力感から来る「もどかしさ」だと思います。人間の無力感の象徴でもあるその感情は、きっと、この映画を見た方もそうでない方も含め、誰しもが抱くものだと思います。

 

パク社長を殺害した、あの瞬間。彼は何を感じていたのか。きっと、心の奥底に鬱屈した「もどかしさ」が、殺人を犯すほどの"何か"へと転換され、その"何か"が無意識下で富の象徴とも言えるパク社長に襲い掛かったのです。

 

それが何であったのか、未だに私には分かりませんし、彼の劇中のセリフにもあるように、恐らく本人にも分かっていなかったのです。それは、韓国という国で暮らしたことのない我々日本人には理解し難いものであり、もしかすると、韓国社会における"半地下"に暮らす人々にとっても理解の範疇を超えるものなのかもしれません。

 

しかし、その理解不能な情動を単に異常なものとして片付けてしまうのではなく、「他者」である彼が持つ合理性に目を向け、それを理解しようと試みることが、この『パラサイト』という映画に込められた真のメッセージだと思うのです。

 

一見すると理解し難い「他者」の感情や行動、そしてそれらを繋げる思考回路。現代社会に生ける我々が、そこに「他者」理解の精神を少しでも育むことが出来たのなら、それこそが"ガラスの天井"という社会的確定要素を不確定要素に転換させる1つの出発点にもなるでしょう。

 

反対に、キム・ギテクの「もどかしさ」が暴発したことは、「他者」理解を怠った社会を待ち受ける、ある種の"ディストピア"社会を暗喩しているのではないでしょうか。

 

あの時、彼が見せた、顔中に無機質な憤怒をのっぺりと塗りたくったような表情は、我々に向けたられた"警告"だったのではないかと思えてくるのです。