Kオタの戯言「もっと早くこのグループと出会っていればなぁ…」

 

「もっと早くこのグループと出会っていればなぁ…」

 

よく聞く言葉でありながら、それは誰しもが一度は抱いたことのある感情を代弁するものなのではないでしょうか。しかし、その切なく嘆くような後悔の念に激しい同情を抱くとともに、私はやはり感じてしまう。

 

出会っていたところで、好きにはなっていなかった。

 

自分の感受性がそのグループのもつ絶対的な価値を受容するほど開かれたものではなかった、あるいはその感度がまだ未熟であった。感受性の移ろいとも言うべきこの不安定で繊細な精神現象の一端が、自分自身の置かれた生活環境、精神状態、時間や季節、そして時代の流れにうまく噛み合っていなかったんだと思います。簡単に言ってしまえば、タイミングが悪かったんですよね。

 

例えるなら、現在タピオカに夢中でタピってばかりいるJKの方々が、自分の小学生時代を想像しながら「もっと早くタピオカと出会っていればなぁ…」と嘆くようなもの。*下線部「タピって」は「タピる」という動詞の原形を活用したもので、意味は「タピオカを飲む」。

 

”タピオカにはまる”

 

その背景にはナタデココというタピオカに似た食べ物にはまっていた過去があったかもしれませんし、「流行」という一過性の触発剤があったからかもしれません。

 

それにも関わらず、オタクの方々が「もっと早くこのグループと出会っていればなぁ…」と自責の念を抱くのには2つほどの要因があると思います。

 

1つは、単に現在溺愛している「推し」グループのその過去をより鮮やかに知ることができるのは、彼ら・彼女らのことを早くから「追う」ほかない、と自覚しているからこそ。

 

今でさえグループの楽曲や活動なんかはインターネットを介して簡単に享受することができますが、やはり「リアルタイム」と「見逃し配信」とではその差は歴然。みな、その当時でしか感じることのできない雰囲気や臨場感から生まれるであろう感動に飢えているのです。

 

もう1つは、ファン心理にかかわっています。「自分はそのグループの真価をもっと早くから分かっていたんだ」という負け惜しみと、「私も実は『古参』ですよ」という虚栄心から成る、いわば誰からも求められていない自己申告。

 

古参風オタA「いやぁ~私さぁ、一年前にあのMV見ててさぁ~、良いと思ったんだけどなぜか深入りしなかったんだよねぇ~、、、マジ過去の自分を疑うんだけどぉ…」

 

周り「へぇ~そんな前から知ってたんだぁ~。(それで…??)」

 

Aさんのような後悔の言葉を聞くたび、私はいちオタクの端くれとして思うのです。

 

「チュロスでええやん…。」某コンビニでチュロッキーを買う度、そう思う人に対して激しい同情を寄せるのと同じくらい、『自己申告』する際のやるせなさには共感できます。しかし、「そのグループに魅了されるのは、後でも先でもない、今、この瞬間なんだよ!!」と思うのです。自分に言い聞かせる、自戒の意も込めて。。。

 

きっとAさんが1年前にそのグループを知っていたのは紛れもない真実なのでしょうが、そこで「出会って」はいなかったのです。つまり、運命の出会いを果たすのはそこからもう少し先のこと。当時、そのグループはAさんにとって「認知」の対象でしかなかった。あれから一年後、ついに「尊敬」の対象となったのです。

 

なので、いま、「推し」のグループに夢中になることが出来ている、このかけがえのない偶然の産物を大切にする他はないと思います。”推しを推せている” こんなに幸せなことはないはずです。

 

私自身の過去を振り返ってみてもそう思います。その時、そのグループは私の「推し」にはなり得なかったのです。

 

 

 

もっと早くおまごると出会っていればなぁ…」