ガール・クラッシュとは何か~"ガルク"を再考する~

"ガールク・ラッシュ"という言葉への漠然とした違和感。心の中に鬱積したその思いは、なかなか晴れてはくれない。

 

"ガール・クラッシュ"の「クラッシュ」は、英語の単語"Crush"から来ていて、意味は"惚れる"。日本語に直すと、ガール(女性)がクラッシュする(惚れる)となり、「女性が惚れてしまうくらい魅力的な女性」を指す。

 

本来ならば、"ガール・クラッシュ(以下"ガルク")"は、女性が憧れる女性という意味の下、広義で使われるべき表現のはずが、単に服装やコンセプト、音楽性が"カッコいい"という理由で用いられる傾向があると感じる。

 

その"カッコいい"という曖昧な形容方法は、恐らく"クール"、"セクシー"、"ゴージャス"、といった安易な片仮名表現が表す概念の総称であり、それらは必ずと言ってもいいほど"可愛い"の対極に位置するのではないだろうか。

 

しかし、可愛いから女性が惚れないわけでもなければ、クールだから、セクシーだから、ゴージャスだからといって、それら3つが「女性が憧れる女性」の諸要素とはなり得ない。

 

"ガルク"の元義の歪曲に加えて、もうひとつ気になることがある。

 

それは、MVやステージなどでアイドルたちが必死になって作り上げた世界観を、なんでもいっしょくたに「ガルク」と形容してしまう風潮だ。ファンの中にも、そして、メディア関係者の中にも少なからず蔓延しているものではないだろうか。

 

かくして"カッコいい"という曖昧な概念が"ガルク"へと置き換わることによって、その言葉が「表現における有用性」を過度に獲得してしまう。つまり、"ガルク"というトレンドワードが"カッコいい"という言葉に置換されやすくなるのである。

 

まるでそれは、その言葉が使用される際の背景そのものが蔑ろにされているかのよう。"ガルク"という言葉がカッコいいという曖昧な概念の下に単純化されてしまった上、その特異な言葉が本来考慮されるべき文脈に無視されてしまい、当たり前のように消費されている現状があるのでないか。

 

語彙の用途や意味は、時代と共に移ろいゆくのが定めではあるが、ガルクも決してその例外ではなく、もはや原型を留めてはいない。

 

モヤモヤとした感情を募らせていた私は、ある日、唐突にその言葉が持つ"真の意味"を目の当たりにする。



「カーーッ、トゥッッ!!!!」

 

MAMAMOOの新曲『HIP』のワンシーン。

 

一瞬、私は耳を疑ったが、やはり、それはメンバーのファサが画面に向かって痰を吐き出す演出だった。

 

性別を問わず、一般的に痰を吐き出すという行為は、野蛮で品がないと見受けられる。加えて、既存のジェンダー観から見ると、それを女性が行うことは男性がそうする以上に憚られるものでもあると思う。

 

それを、彼女は公然とやってのけた。

 

彼女のその姿を見た瞬間、私の心のモヤモヤは消滅すると同時に、それは新たな"ガルク"の到来を高々と告げていた。

 

彼女に言わせれば、ガルクという概念は、もはや、文字通り「ガール」を「クラッシュ」する。

 

"惚れる"という意味での「クラッシュ」ではなく、"打ち砕く"という意味での「クラッシュ」

 

そこで、"女性らしさ"を求める既存の女性像を"打ち砕く"という観点から"ガール・クラッシュ"を再考するのはいかがだろうか。

 

既存の"女性らしさ"。そしてそこに付随する"アイドルらしさ"

 

それらを超えて、"自分らしさ"を求めた先の世界、『ガルク』の真の在り方はそこにある。

 

現存する枠組みに囚われず、あくまで"自分らしさ"を追及する女性のことを『ガール・クラッシュ』と表現してみるのも、また面白いのではないだろうか。

 

それは先に述べたMAMAMOOのファサのようであり、それこそ特定の"性"に拘らず自分という存在を常に体現し続けるf(x)のアンバのようでもあると思う。

 

彼女たちのような、いわゆる『ガルク』な女性たちは、自分たちの音楽で、既存のジェンダー観に大きな変革をもたらしつつある、いや、今まさにもたらしている最中である。

 

ここにきて、私自身が"ガルク"の意味を歪曲しているではないか、と思うわけではあったが、それでも現在のKpop界を鑑みると、私の思う『ガルク』こそが、その雰囲気に合っているように感じるのだから不思議だ。

 

2019年におけるKpopシーンの要所を振り返ると、それはもはや確信に近い。

 

まず印象的なのは、ガールズグループの大型新人、ITZYが『DALLA DALLA』で鮮烈にデビューしたこと。「皆と私は違うの、あなたの基準に当てはめないで」と高らかに歌った。

 

次いで、Mnetの『Queendom/クインダム』というサバイバル番組は、女性グループ6組にスポットライトを当てた。ファンダムの規模や影響力からも男性グループが相対的に有利な音楽界で、女性グループが主役なのだ。

 

番組の細かい内容については触れないが、それは6組が優劣を付け合う「対決」であった。しかし、彼女たちは他グループとの勝負に惑わされることなく、あくまで自分たちの世界観を大事にしながら闘っていた。

 

ITZYとクインダム。その両方に共通するのは、"周り"に囚われない"自分らしさ"だったのではないだろうか。

 

私の心の中に鬱積した"ガルク"への違和感から勝手に再考した『ガルク』という概念は、そうしたある種の時代観にも適応しているものだと思える。

 

時代に合わせて語彙の用途や意味は移り行くのが定めである」というようなことを中盤で述べたが、そのような意味において、既存の概念をかなぐり捨てた「ガルクの再考」は、大変に有意義なものであったと信じたい。

 

以上となりますが、最後までお読み頂きありがとうございました。