TT's ぶぅログ

吃音(きつおん)や趣味のKpop、海外旅行、コーヒーを中心に好きなことを書き綴りますぜ。

『吃音』のカミングアウトから半年以上が経過した今、改めて吃音に対して思うこと

どうもTTです。

 

いやぁぁ~この時期がついにやって来ましたね~~、、、

 

皆さんは新しい環境には慣れましたか?

 

4月は新生活や新学期の節目であり、吃音持ちの方にはかなり厳しいと思われる自己紹介が沢山待っています。

 

『いや待ってなくてええよ~~!後で行くからさぁ(まず追いかけない)

 

私は今週から大学の授業が始まったのですが、私にとっては相変わらず最初の自己紹介が鬼門となっています

 

もはやなんで自己紹介の義務があるん?』と問い正したいくらい。

 

私は前年度留学に行っていた関係で、本来その年に履修するはずの科目を下の学年と一緒に受けています。

 

なので一緒に授業を受ける仲間たちはほとんど私の知らない人ばかり。

 

よく最初の授業や初対面の人たちが集まる場でアイスブレイクなるものを行いませんか?

 

アイスブレイクというのは初対面の人同士に張られた緊張の氷幕を壊すことで、お互いの心の距離を縮めようとするもの。

 

例えば、隣の人と自己紹介とか、みんなの前で自己紹介とか。

 

先ほどの表現に習うと、私の周りに張られた氷幕はアイスピックで数回突いたくらいでは決して壊れることのない分厚いもの。

 

相変わらず少人数の語学の授業が多いので、お互いがお互いを知りながら授業を行っていく必要があります。

 

なんせ語学の授業では会話が中心なのですから、、、

 

今日はまさにその語学の授業だった訳ですが、自分でもびっくりする位緊張している自分がいました。

 

その時私が無意識に取っていた行動は、貧乏揺すり。

 

揺すり、揺すり。

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そろり、そろり。 

画像引用:girlschannel

 

客観的に自分を見ても、

 

『いやそんな揺する?!笑』

 

と思うくらい足を小刻みに上へ下へと動かしてました。

 

これって随伴運動だよなぁって思いながらも、ソワソワして落ち着かなかったのでつい貧乏揺すりを続けてしまいましたね。

 

以前にも増して緊張してた気がするけど、なんでだろうなぉ~~って。

 

留学で吃音をさらに気にする様になったからかなぁ。

 

とか、

 

ログでの発信活動を契機に吃音のカミングアウトを始めたことが裏目に出たのかなぁ。

 

とか。

 

久しぶりに仲良しの友人以外の社会と接したからかなぁ。

 

とか。

 

考えても仕方ないと思うかもしれませんが、吃音を客観的に捉えて分析してみることで自分の現状を冷静に見つめ直し、吃音と上手に向き合うことが出来るかもしれません。

 

吃音を分析することに関連していうと、最近Twitterで仲良くさせて頂いている私と同じ吃音持ちの方が、『自分にとって吃音が出やすい環境』はどういったものかを発信していたのを思い出しました。

 

吃音を受け入れ客観的に捉えているなぁと感心(ありがとうございます)。

 

吃音の出やすい環境はそれこそ100人いれば100通りあります。

 

私の場合は、バーや居酒屋など周りの音がうるさく相手に自分の声が届かない環境、周りに注目されている状況、複数人で共通の話題を話している時に自分のターンが回ってくる時、授業で自ら発言する時、テーブル等を挟んで面と向かって人と話す時、、、など今思いつくだけでも沢山ありますね。

 

留学を通して吃音をカミングアウトするまでは、このように吃音を分析するといった行為を徹底的に避けてきましたが(特定の環境で言葉を発しづらいことを無意識下で感じていただろうけど)、今では自身の吃音に対してとことん向き合ってやろうと思ってます。

 

ブログで吃音をカミングアウトし、いわゆるリア友にも少しずつ公言しながら自分なりに向き合い始めたことで、今までは感じたことのなかった『吃音を告白したことによるもどかしさ』なるものを感じる様になったのが一番の大きな変化。

 

以前は吃音をカミングアウトすれば今まで自分の内側に溜め込んでいた鬱憤が解放され、幾分か気持ちが楽になるだろうと楽観視していましたが、こうして吃音を告白するということは『周囲から理解されない、若しくは相手に吃音という言語障がい自体が上手く伝わらない』という可能生を内包した告白でもあることを痛感しました。

 

一番言われてもどかしかったことは、

 

『気にしなくていいじゃん』

 

『それ私もあるよ』

 

こういった言葉に対してなんて言い返せばいいのかが未だに分かりません。

 

いや、違くて、、、、吃音は頭の中で言いたいことが明確にあっても言えなくて、、、

 

と私が説明し始めても、その言葉を放った当の本人はイマイチ腑に落ちない様子。

 

説明を続ければ続けるほど吃音の大変さを誇示するように聞こえてしまい、なんだか気分が冴えないし、正直説明するのも嫌になってくる。

 

くそっ!!!何で分かってくれないの!?と思う反面、そりゃ吃音当事者の私でも理解するのに長い時間がかかったのだから、非吃音者の方が理解に苦しむのも無理ないなぁと内省

 

吃音に限らず、誰かの人となりを理解することにだって相当な時間がかかるし、ましてやその人について一生かかっても理解出来ない部分があっても何ら不思議ではないでしょう。

 

そこで、吃音病気という枠に括らず、それをあくまで個人の体と共生するアイデンティティーや、単なる癖の延長戦上として捉えてみる。

 

当たり前ですが、こうしたアイデンティティーや癖は全ての人に理解してもらえるわけではありません。

 

吃音をアイデンティティーとして捉える考え方を懐疑的に思う方もいらっしゃるでしょうが、非吃音当事者から見れば吃音はその人の単なる癖や個性のようなもので、その人の人となりと何ら変わらないのです。

 

と考えると、その人の個性が万人に理解されないのと同じで、吃音を告白したってすんなりと理解してもらえることの方が少ないのではないでしょうか。

 

いかがでしたか?

 

4月と言う新たな節目を迎えた筆者が、学校という社会で生活する中で改めて吃音と私について感じたことをずら、ずらとだらだら書き綴ってみました(思ったことをそのまま書けたかな?)。

 

吃音を少しずつカミングアウトしたことで、以前とは違う考え方や悩みに遭遇することも増えましたが、これもひとつのフェーズだと思って出来るだけ前向きに捉えるようにしています。

 

こちらの記事が少しでも皆様のお役に立てたら嬉しいです。

 

御一読ありがとうございましたTT