TT's ぶぅログ

吃音(きつおん)や趣味のKpop、海外旅行、コーヒーを中心に好きなことを書き綴りますぜ。

『イジメ』と『イジリ』について思うこと

どうもTT(@domoru_tt)です。

 

最近SNSやテレビを見ていると、小学校や中学校でのいじめ関連のニュースを多く目にしませんか?

 

動画やボイスレコーダーが普及した今。

 

以前の教育現場では知る由もなかったいじめや、いじめに対する杜撰な対応が明らかとなり波紋を広げています。

 

例えば、いじめを受けたとされる児童Aの親御さんが、学校の先生や校長先生にいじめをやめさせるように助けを求めるも、結局その対応は一時的なものであったりして、学校側がいじめに真摯に向き合ってくれないケース。

 

加えて、第三者委員会である県の教育委員会が「いじめ」をトラブル、あるいは「いじる」の延長にあるものだと断言して対応してくれなかったり。

 

その対応を先延ばしにするためにさらなる第三者委員会に対応を要請するケースもあるといいます。

 

フジテレビのテレビ番組『直撃LIVE グッディ!』で安藤アナウンサーが、

「第三者委員会大好きですね。」

と皮肉交じりに仰っていましたね。

 

それもそう。

 

実際に子供たちがイジメを原因に自殺することもあるのですから…。

 

そんな近年見直しが必要と言われている教育現場でのイジメ問題について、私は第三者委員会がいけない、学校の先生の在り方を変えた方がいい、等と言う事は出来ません。

 

というのも、私はその道の専門家でも教師でもないからです。

 

なので以下からは、イジメの温床となる教育現場の問題を取り上げるのではなく、

「イジメ」そのものについて私が思うことを書き綴っていこうと思います。

 

よく言う『イジメ』ってそもそも何なのか?

 

それはイジメを経験した人にしか分からないことでしょうね。

 

一般的に、イジメは以下のように説明することができるらしい。

自分より弱い者に対して暴力やいやがらせを加え,身体的・心理的に苦痛を与える行為。 1980年代,特に学校において校内暴力 が沈静化するとともに問題となり,いじめが原因とみられる不登校,自殺,事件が多発,深刻な社会問題,政治問題となった。 1994年,文部省がいじめ対策緊急会議を発足,1996年『児童生徒のいじめ等に関するアンケート調査』を公表,いじめ問題への取り組みを提言した。 2007年1月,定義を「一定の人間関係のある者から,心理的・物理的な攻撃を受けたことにより,精神的な苦痛を感じているもの」とし,いじめかどうかは当該児童生徒の立場に立って判断するよう徹底するとした。原因や背景として,協調性・思いやり・規範意識・フラストレーション耐性の欠如,対人関係の不得手,知識偏重や競争意識による社会の差別構造,将来の目標の喪失,集団のいじめに対する認識不足などが考えられる。態様は,いたずら,いじわる,ひやかし,からかい,持ち物隠し,仲間はずれ,集団による無視,悪口,陰口,暴力,リンチ,たかり,恐喝など。

いじめとは - コトバンク

 

その中でも、『一定の人間関係のある者から,心理的・物理的な攻撃を受けたことにより,精神的な苦痛を感じているもの』がイジメの定義となっています。

 

でもこの定義に従うと、客観的にイジメか否かを判断することが物凄く難しくなると思うんです。

 

些細な悪口やいたずら、からかいでも、それを受けた本人にとってはとても辛いことかもしれないし、その逆だってあり得る。

 

そうなってくると『いじる』はダメなの?という質問が来そうなものです。

 

確かにいじられキャラという言葉が存在するように、『いじる』は公に認められている様に思います。

 

よくあるのが「あいつはいじられキャラだから仕方がない」という風潮。

 

でもそれは、当の本人がいじられることをオイシイ、あるいはそのことを良しと思っていることが前提です。

 

例えば、テレビのバラエティー番組で、芸人Aが芸人Bをいじり笑いが生じたとします。

 

そこにはいじることで得られた「笑い」という産物があり、その過程には芸人Aさんの愛が少なからずあったはずです。

 

以前ワイドナショーでお笑い芸人の松本人志さんが「愛の無いいじりは面白くない」と言っていましたが、基本的に笑いというものは愛のある所にしか生まれないと思うんです。

 

愛のないいじりから生じる笑いもあるとは思いますが、その笑いは決して長続きしないでしょうし、何よりいじられる側にとってはそのいじりが段々と苦痛になってくるでしょう。

 

話を戻しますと、『いじる』という行為は、いじられる側といじる側の利害関係が一致し、その過程に愛が存在して初めて容認されるべきものだと思います。

 

先ほど紹介したイジメの定義を改めて参考にすると、いじる行為からも十分に精神的な苦痛を感じることはあるのです。

 

ここで私が思うことは、学校などの教育現場では児童や生徒同士の間でいじる行為が正当化されやすいということ。

 

「いじめはよくないけれどもいじりは良い。」

 

あなたの学生時代を振り返ってみてください。そこにはこんな考え方がまかり通っていたのではないでしょうか?

 

あの頃いじられキャラだった陽気なAさんは、実は心の奥底ではいじめられていると思っていたかもしれない。

 

『いじめ』と『いじり』は紙一重なのです。

 

この両者の曖昧な関係性は、教育の現場、特に義務教育下にある小中高の学校にとっては難しい存在となるでしょう。

 

始めに申しあげた通り、実際に学校や教育委員会がイジメの事実を隠ぺいするために、いじめではなくあくまで『いじり』という表現に固執する傾向があります。

 

繰り返しますが私は教育の専門家ではないので、学校や教育委員会にのみ問題があるとは思いません。

 

でも、いや、だからこそ私は問いたい。

 

そのいじりに愛はあったのか?

 

『いじる』という行為はイジメの延長線上にあることが少なくないにもかかわらず、ある種正当化されている様に思うのです。

 

以上私TTのやるせない気持ちをずら~~~っと言葉にしてみました。

 

思ったことをひたすらに書いたので私の誤解や偏見があったかもしれません。

 

それでもここまで読んでくださった方には本当に感謝します。

 

御一読ありがとうございましたTT